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思いを受け継いだ家づくり

田端健二

株式会社モスハウス田端
  代表取締役 田端健二

 昭和42年(1967年)4月6日生まれ(51才)
 妻と息子二人(20才と中学2年生)の4人家族

【趣味】
 釣り(バスフィッシング)、スポーツ観戦

【資格・経歴】
 一級建築士
 既存住宅状況調査技術者(インスペクター)
 ヘリテージマネージャー
 (兵庫県建築士会 古民家再生部会)
 住教育講師
 (市内小中学校での住まいの防災・音環境等の授業)

DNAは100%五島

大工の父と私

神戸で生まれ、神戸で育った私ですが
両親はともに長崎県五島列島(福江島)の出身。
神戸に出てきて結婚したふたりの長男として
1967年神戸市葺合区(現在は中央区)で生まれました。
田舎から出てきて間もなく、決して裕福な生活ではありませんでしたが
両親には同郷の知人や親戚が多く、大勢の人にかわいがってもらいました。
神戸にいながら、ネイティブな五島弁の中で育ちました。

五島で修行をして大工になった父。
一人前になって神戸に出てきてからも
大工として真面目に家を建てる仕事をしていました。
そんな父を頼って出てきた弟や従弟が、大工見習として一緒に住んでいた時期もありました。
もちろんみんな、五島の人間です(笑)

母と幼いころの私

大工の父を支える母は、厳しかった父によく叱られていた記憶があります。
要領が悪く、慣れない神戸での暮らしに必死だったと思います。
それでも、忙しい父に代わって私とキャッチボールをしてくれたり
いろんなところに連れていってくれたりと、たくさん愛情をかけてもらいました。
今も母はすぐそばに住んでいて、孫の面倒をよくみてくれています。
父は癌で早くに他界してしまいましたが、親戚のつながりはいまだに深く
とても仲良くしています。

父の背中を見て育った少年時代

お父さんとバイクに乗っている私

葺合から明石市朝霧に移り住み、今の伊川谷へは私が小学校4年生の時に引っ越してきました。
念願の一軒家。自宅に「田端工務店」の看板を掲げ、棟梁として父は仕事をしておりました。
小学生の私を現場へ連れていってくれることもありました。
大工仕事はもちろん、丁寧に道具を手入れする父の姿が印象に残っています。
今では見かけることもなくなりましたが、米を練ってそくい(米のり)をつくったり
少年時代に見た父の現場には 

手仕事の温もりがありました。

しかし、大工仕事も工務店も、楽な仕事ではありません。
父が私に
「大工になれ」
「工務店を継いでくれ」
と言うことはありませんでした。

タイガース少年

少年時代の私は、親戚の誰に聞いても口をそろえて
「あんな落ち着きのない子おらへん!!」と言われる
やんちゃを絵に描いたような少年だったようです。

高校までは神戸で育ちましたが
大学の4年間は親元を離れ、長崎で過ごしました。
大学で建築を学ぶことは、父の願いでもありました。
専門性を養い、知識と教養を身に着けて社会に出したい。
親であれば当然の思いでしょう。

大学時代の友人と

十分な知識と教養が身に着いたかどうかはわかりませんが
長崎での4年間は楽しく充実した毎日で、あっという間に過ぎていきました。
当時の友人は、今でも関西へ来ると訪ねてきてくれる、生涯の友です。

住宅の仕事に就いて

卒業後、私は神戸に戻って住宅会社に就職しました。
設計に携わり、家をつくる仕事をしましたが
今思えば「売る家を建てていた」に過ぎないような気がします。
キャリアアップのために、いくつかの転職も経験しました。
住宅メーカー、リフォーム会社、FC本部…。
そのすべてのキャリアが今に繋がっているので、お世話になった会社には大変感謝しています。

一貫していたのは、すべて「家を建てる」仕事だということ。
しかし、本質は…。
どこか違和感を感じながら、二十数年もの月日を重ねていくのです。

無添加住宅との出会い

アルミ箔で覆われた化学物質過敏症の方の住まい

運命の出会いが訪れたのは、今から約12年前。
当時私が勤務していた会社では、「高気密・高断熱」に力を入れると同時に
「健康住宅」に取り組みはじめていました。
気密性の高い家には、建材から放出する化学物質が充満してしまい
シックハウス症候群を発症するリスクが高まる。
そこで、化学物質を抑える塗料を用いた工法で健康住宅を謳いました。
「健康住宅でリフォームしませんか?」
そんな広告を見て相談に来られたお客さま。
実は、すでに化学物質過敏症を発症しておられ、深刻な状態でした。
室内のほとんどがアルミホイルで覆われた生活。
その異様な光景を目の当たりにして、思わず絶句してしまいました。

無添加住宅

その現実を前に、健康住宅と謳っていたことを恥ずかしく感じました。
過去に一室を【無添加住宅】でリフォームされていた そのお客様から
私たちは【無添加住宅】のことを教えていただきました。
建材から出る化学物質を抑えるのではなく
化学物質を出さない建材で家を建てる
考えてみれば当たり前の発想。
すぐに、無添加住宅との代理店契約を結びました。
そして、長年携わった新建材での家づくりに終止符を打つことができたのです。
木としっくいと天然石を用いた、手仕事でつくる家
それは、かつて見て憧れた、父の現場に通じるものがありました。

自宅の建築

【無添加住宅】の新築物件として1棟目に着手したのは、自宅。
自分の城を持つ!男としての夢。
かねてから考えてはいたものの、妻の賛成を得られず伸ばし伸ばしになっていました。
それが、「無添加住宅ならいいやん!」妻が快諾。
夫婦で設計、現場管理をして2007年に念願のマイホームが完成しました。
しっくいと無垢の木に包まれた家は、想像以上に快適。
子どもものびのび育ちます。
妻も上機嫌。
自宅にお客様をお連れして「自宅展示場化」していく日々の中
案内が接客に、接客が打合せに。
いつしかコーディネーター、設計の仕事に、妻も加わるようになり
夫婦で無添加住宅の共同設計をする今の形ができあがってきました。

新居の階段にて

しっくいと無垢の建具、床でできた室内は大人にも子どもにも心地いい。

新居の子供部屋

チェアハンモックに包まれているのは妻の広子。

思いを継ぐ

無添加住宅(書)

無添加住宅の家づくりは、奥が深いようで、いたってシンプル。
身体に悪いものは使わない
工業化してしまった家とは異なり
昔ながらの手仕事の家には、味がある
そんな当たり前の家づくりを思い出させてくれたのは、無添加住宅の秋田会長でした。
父が生きていたら、会わせたかった。
         いろんなことを聞いてみたかった。
         一緒に家づくりの仕事をしたかった。
本物の家づくりを自分の一生の仕事にしようと決意したとき
すでに他界してしまっていた父。
ですが、そのDNAと思いは、確かに私の中に受け継がれています。
父に恥じない家づくりを、できているだろうか。
今は、自信をもって、はいと言える。

秋田会長と田端夫婦

妻とふたり、心からいいと思える家をお客さまご家族とともにつくる喜び。
そして、叶わなかった「父とともに」という夢。
誇りをもって仕事をする後ろ姿を、息子たちに見せる日々のつづきに
「息子とともに」という夢が叶う日も…と想いを馳せながら
父が大工として家づくりに込めた思いを
私が受け継ぎ、そしてさらに次の世代に受け継いでいけるように
思いを込めた丁寧な仕事をしていきたいと思っています。